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スタッフブログ更新:年忌法要の歴史

2018年1月29日

営業部の関です。
めっきり冷たい日々が続く今日この頃ですが、皆様方にはインフルエンザなどで体調を崩された方もみえますでしょう。

今回のお話は、年忌法要はいつの頃から営まれていたのでしょうか?
年忌法要の事を簡単に述べてみます。

年忌法要は、他の宗教ではあまりみられないようですが、日本の仏教会においてどのような経緯があったのでしょうか。

インドで始まった仏教ですが、はじめは出家主義で(いわゆる悟りを開く)であり死者儀礼をしていませんでしたが、中国に伝来した時、儒教が説く『孝』という考え方を仏教に取り入れてきました。

このあたりから変化をしていったようです。

まず、インドで説かれていた中陰説(死後四十九日までに転生をするという説)が取り入れられ、5・6世紀の頃に追善供養を勤める経典などが作られました。

初七日から二七日・・・四十九日までの各七日のお勤め、百ヶ日、一周忌、三回忌までが数えられました。
中国では三回忌まで行われました。

そして日本に伝来してくると、鎌倉時代までは三回忌まで行われました。

その後、12・13世紀頃から七回忌、十三回忌、三十三回忌が追加されました。

さらに16世紀頃には十七回忌、二十五回忌を加え十五仏事となり、江戸時代に入ると二十三回忌、二十七回忌、五十回忌が加えられました。

現在では、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌と増え、百回忌、百五十回忌、二百回忌と、50・100年区切りの年も行われるようになりました。

ただ、一般の方は三十三回忌、五十回忌で弔い上げをして区切りとされます。

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